| 山口 洋子 | 作 詞 |
| 内藤 法美 | 作 曲 |
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| 唄い出し〜 |
| 今は もう秋 誰もいない海 しらん顔して 人がゆきすぎても・・・ |
| 2003年の夏の海、それは冷夏でまさにこの歌の海だったのです。そして今は本当に誰もいなくなった浜辺・・・ あれは何時頃だったのでしょうか!?そう、もうあれから30数年の歳月が経ってしまったのですね。 それは或る日仕事で車を走らせていた時のことでした。 カーラジオからどうしようもなく素敵なメロディーとやさしい歌声が流れ始めたのです。その歌にしばし我を忘れて聞き入ってしまったことが昨日のことのように思い出されます。そしてその時は曲名も何もわからないままで終わってしまったのでした。 その歌声の主はジェリー伊藤、そして歌われていた曲は「誰もいない海」だったのです。 これがこの曲との初めての出逢い、そしてその数十年を経た今はその歌をいつも唄っています。 その放送の時だったのか、或いは少し後だったのかは定かでありませんが、ジェリー伊藤氏がこの歌の生い立ちについて話をしていました。これはその歌詞にあるような初秋の浜辺の自分のイメージを山口洋子さんに託して作られたものだということでした。そしてそれに応えた山口さんの詩に内藤法美さんの曲が付けられて、この歌は生まれたのだそうです。 この歌が初めて発表されたのは当時放送されていた『木島則夫モーニングショー』の挿入歌として流されていたと記されていました。 初めて耳にした時に、これはきっとヒットする筈と確信したものの、それからしばらく耳にすることが無かったのでどうしてか?・・・と思いつつ歳月は経ち、そして或る日からこの歌が盛んに流れ始めたのでした。 しかしそれはまず越路吹雪の歌で、そしてしばらく後にトワ・エ・モアの歌で瞬く間に毎日のように流れるようになって行ったのです。 これが1970年のことと記されていましたので、随分前のことになりますが、しかしこれより前の私の空白部分の1968年に実は大木康子がB面に入れてリリースしていたそうです。しかしこれは恐らくどなたの耳にも殆ど届いていないことでしょう。 さて、この曲の作曲者、内藤法美さんは越路吹雪さんのご主人で彼女のコンサートの構成、編曲、演奏、指揮等々、二人三脚状態で仲良く多くのコンサートをこなしておられましたが、先に越路さんが、そして後を追うように内藤さんも相次いで他界されてしまい大変残念に思っていたものです。 時は過ぎてこの歌が今では学校でも唄われているとのこと、日本のポップススタンダードナンバーとしてふさわしい一曲と言えるのではないでしょうか。 この歌の詩、そして曲はジェリー伊藤氏の心から生まれ出たものです。是非ジェリー伊藤の歌声を1度はお聞きになられることをお勧めしたいところです。(音源の入手がやや困難ですが・・) そしてラウムではこの秋もこの歌を海に空に砂に向けて気張ることなく語りかけるように唄ってみることにしたいと思っています。そうです!語るようにやさしく・・・です。 |
| by YM |